本棚

少しセピアがかったような、陽の当たったような、ぎっしり中身の詰まっている或いは少しだけ隙間のある本棚の風景って本当に素敵だなあ…なんか「蜂蜜色の時間(とき)」って感じ…(琥珀とは言いたくない、これ私の小さなこだわり)確かに本好きの人は時を忘れるだろうな。

私の想い出は祖父の気に入らない事をして土蔵に押し込められたときだな。「世界少年少女文学全集」がたっぷりあったので、暗くても苦ではなかったなあ…冒険ものやファンタジーが好きで、悲しいエンディングとか貧しい暮らしの中の希望とか地に足の着いた地味な話は後回しでした。そういう方が記憶に残るんだけどね。メリメの「マテオ・ファルコーネ」はショックな掌編でした…あと、ゴットヘルフ「黒い蜘蛛」ね。これは本当に怖かった…もっかい読み直したい…読み直そう…。

時を忘れると言えば、二十歳頃のこと。映画が大好きだった。今も好きだけど、名画座で千円とか、そうそう毎週いける感じでも無かったなあ。何しろビデオデッキを所持するお金も無かったので、私がどうしてたかというと、見たい映画リストを作ってレンタルビデオ店に出かけるのだ。そして眺める…ただ羅列したタイトルを眺める…リストなんかそのうち忘れて、ああ、ビデオデッキさえ手に入ったら…これをみたい、あれもみたい、と食い入るように並んだビデオをひたすら眺めていた。ギターや楽器にしたら映画なんかでよくある風景だよね。少年の鼻息でショーケースが曇る…

あの飢えってのがね、多分宝なんだと思うわ。そいで、若かったと思うわ。無いよビデオに関してはもう。本も積ん読が溜まっとるよ。金持ちにはならんかったけど…「世界の料理ショーコンプリート」広川太一郎アテレコの欲しいな!

住み開き。君は開く事が出来るか。

出先で「ブルータス」の「シェアハウス特集」に惹かれてざっと読んだ。一言で言えば華やかだった…主に三十代までの若者、家庭菜園、IT実業家、若手アーティスト、プライベートコーナー、パーティ等。

なんで惹かれたかというと、私の夢の一つに給食のおばさん/寮母的仕事というのがあるからだ。半ばかなっているところもある…ダマーのところの学生さんたちに大量の食事を振る舞うときとか、文句を言いつつも実は楽しい。大鉢に持った食べ物というだけでワクワクする。夢なんで言わせてもらえれば、寮的に朝晩のどちらか、最大十五人かな…それで、朝食は毎日同じ、夕食だったら週に一回ずつカレーと餃子と鍋にしたいなあ。大鍋をぐーるぐる。餃子は包ませて焼いてもらう、と。鍋は具材を切るだけだな。あーでっかいキッチン欲しいな!

さすが雑誌だな、と思ったのは、若い人の写真で構成し、楽しく華やかな面しか取り上げてないところかな。ブルータスの読者は三十代から上だと思うけど、中高年もとりあげよ。あまり絵的にキラキラはしてないかもしれないけど、需要はそっちが先じゃないかな。

ルームシェアの経験からいうと、信用出来る人を選ぶのが鉄板であり大変なとこ。家賃をきちんと納める事は勿論、共有部分の掃除、友人を招くときはルームメイトの許可を得るとか、ね。だから先住者が面接したりする。やはり最初は見知らぬ他人、お互いどんな事を考えてるかわからないもの。でも煩わしさを超えた繋がりというのに、今ひとは飢えてるんじゃないかと…そして、受け身ではなく、自発的に関わること…。生半な覚悟では出来まい。

年代関係ない「住み開き」ってのも関心ある。
http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001861&ref=1

いつか、独りになる…どう死ぬかわからないが、出来れば人の声のするところで最後を迎えたい。別に畳の上じゃなくてもいいけど、さ。

鈴を振るような笑い声の時間

昨夕痛む足をおして外出、帰路どこかの家から幼い子供のけたたましい連続した笑い声が聞こえて来た。

とても楽しそうだった。複数の声だった。くすぐられているのか、何か面白い事があって止まらないのか、その瞬間は、今何時だろうとかまったく考えもしないんだろうなあと思った。一瞬かも知れない…

あれは十歳頃だったか、時節は今頃で快晴だった。何も無い雪の上に仰向けに倒れて流れる雲をみて、ぎゅっと目をつむって、次に目を開けたら六十歳になってますようにと願った。もう枯れ木のようで、死ぬのをスムーズに待つばかりなのにと。あいだのことが、六十歳になるまでの間に起きるだろう事がもう面倒で面倒でたまらなかった。

三分の二の時間がとうに過ぎて、いま面倒の渦中にあり、かつ、六十歳に無事なれたとしても、枯れ木になってる保障は無い、スムーズにも人生終えられないだろう、と当時の私に言ってあげたい。でも人生はあなたが思ってるほど長くはない、とも、付け加えてあげたい。

シーニュ、シニフィエ、シニフィアン、ド黒手袋

知人が「世の中には必要の無いものが沢山あるけど、群を抜いて要らないのが京極夏彦の黒手袋…」という発言をしていた。彼を記号化するとどんなものかと考えた。

変化したところとしないところがある。容姿は大幅に変わった。例えば、デビュー時はGacktみたいだったのが今や沢田研二ぐらいの豊満な体つきに。(彼の職業は作家であるから、体格の変化はその資質には本質的には関係ないが、ここでは彼の外見、上っ面に関してだけにしておきたい。)

ただ彼の…彼の黒手袋だけは、彼が登場してからずっと変わらない…ずっとそこに在る…

ウィキをそのまま転用し当てはめてみよう>シニフィアンとは、語のもつ感覚的側面のことで、例えば京極夏彦という言葉の「京極」「夏彦」という文字や「きょうごくなつひこ」という音声のことを言う。他方シニフィエとは、このシニフィアンによって意味されたり表される黒手袋のイメージや金髪、和服で巨体という概念ないし意味内容のことである。また、表裏一体となったシニフィアンシニフィエとの対のことを、「シーニュ」(signe)すなわち「記号」と呼ぶ。

記号化すると京極夏彦は黒手袋に集約されるのか?世の中の全ての人間が黒手袋から京極夏彦を連想するかというと、それはせいぜい熱烈なファンだけだ、しかし、彼から黒手袋を取ったら、ただの金髪で和服の巨漢のおっさんにしかならない。

年月が経って、ただ彼の黒手袋だけが…私の中では、それには鋲が打ってある。対にするために私が打った。

このような事例は、実は沢山ある。皆さんと一緒にこれからも考えていきたい。

よく寝ました

またダマーが酔った勢いで私をレースにエントリしてしまった。しかも今度は十キロだ…無理だってば…とはいいつつも、昨日、どんなもんだろ十キロって、って思って川を下っていったらば海に着いた。その後戻りながら距離を稼ぎ八キロ合計で走ったけど、お風呂入っても激痛で、何をか言わんや本末転倒だなと思いつつ…

今日は半日寝ていました。ヘルニアには寝るニア。寝るにゃー

うさぎ

今は亡き父は幼児の扱いがヘタで、まあ若かったから仕方ないんだけど、捕獲したウサギを掴むように私をひっくり返して頭を洗ったので、大分大きくなるまで私は髪を洗う際にぎゅっと堅く目を瞑っていた。あらがえないで翻弄されるというのは本当に不安になる事です。自分が客体になるというのは。

というのは、昨日レースの帰りに寄った銭湯で火がついたように泣きわめく声を男風呂から聞いたからです。延々続くのを番台の女の子は微笑ましい笑顔で聞いていたが、私はそこまで鷹揚ではないので懸命に「円谷プロは黎明期にスタッフの赤子の泣き声で怪獣の声を作ったそうな」などとダマーに話しかけたがダマーは「デスメタル」と言っていた。

レース自体は道が平坦で調子良かった。あと一、二キロ走れそうかなと思ったくらい。勿論過信は禁物だが…打ち上げの際のアルコールが効きすぎたか足が痛くなって、湯たんぽ作ってもらって寝た。

猫走る

昨日の夜、一番近い海そばの小さなモールにジョギンググッズを補充にいく。途中、交差点を猫が必死に渡っていくのをみる。全速力なんだけど所詮馬力ならぬ猫力なので遅くてハラハラする。「恋の季節」と他の方のブログで読んだし自分でもあちこちでみかけているので驚くにはあたらないんだけど、生きてるってカンジ…

明日は初めてのマラソンだよ。五キロですがね。ヘルニア持ちなんですがね。自己矛盾を抱えながら私も走るよ、猫よ。