庇護&保護

ひとを応援したいという心持ちについて細やかに書かれておられるのを読んで、自分についてはどうだろ、とちょっと考えた。ついて言えば、「プロデュースしたい」という具体的な言葉にかなり喚起された。全く同じセリフを直接口頭で言われたことがあるから。(以下、読ませてもらったサイトには関係ないです)

まずそんな自分についてだけど、これは私生来の何か、足りなさというか欠落感みたいなんがヒトの(人類、的に)保護欲をそそるらしい。多分。生まれ落ちてから中年の今に至るまで、様々な場面で私はそれを、軽視される事に甘んじて来たと同時に正直に言えば、かなり利用もして来た。そして要らないと思ったら迷う事無く捨てる冷酷さはもはやちゃっかりを越えた計算高さよ…手のひらを返すように拒絶、ですよ。飼い犬に手を噛まれたわ的に激高するお方も少なくなく、そりゃあ好意を無碍にするわけだから理解は出来るけど、こっちは対等なお付き合いがしたいのであって、と紳士的に書けばこのような気持ちになるのです。チャッキーみたいな自分が恨めしい。

私の問題は、そこへ上手く穏やかに移行出来ないところにあるなあ。狷介で短気なのだよなあ…これは今後の課題だな。柔らかく受け入れ…いなすとか流すとか、気持ちだけ戴くとか、「よく言えるな…」「私、ペットじゃないし」なんてgdgd思わずやれたら私はもっと成長出来るな。なんつうか3ステップぐらい上がれそう。

しかし、やっぱり口の回りにさっき食べたチョコレートドーナツのヒゲをつけて堂々と辺りを睥睨するような大人は見ていられないから、そりゃ拭いて上げたくもなるでしょう。なんだっけこういうの、ハニートラップ?直んないと思うけど。チャッキーもちょっと抜けてるよね。