係累の濃度

母から今朝メールが来ていた。血のつながっていない独り暮らしの祖母の具合があまり良くないらしいと近所のヒトから連絡(でも昼間散策している)が来たそうで、デイケアのヒトと話してみるから、という内容。私はこの父方の祖父母が大嫌いで、特にこの父親の継母という女性のプライドと頭の良さ…それは怜悧さというより年を重ね、祖父の幼稚さと比べて狡猾さが際立っていったが…にはいろいろ振り回された。家族の秘密を小出しに明かされたりとか、それによって周囲を操ろうとするその真意、弱さの演出。私はじくじく悩むだけでよかったけど、母は嫁として、父不在の中そのほとんど全てを知っていても知らぬふりとカバーを期待され、なお周囲には悪役でなくてはならなくて、そういう矛盾を全て呑み込むのが嫁のつとめならば世の中に嫁という存在はすべからく絶滅して呵るべし。母にはあまり深入りしないようにと書く。彼女はもう離籍しているし。

だから血のつながりは無いんだけど、わたしは未だ係累。周囲にはそのように振る舞うことを期待されている。田舎なんてそんなものだ。こないだ訪ねたときに近所のヒトに見かけられたらしく、「いい嫁だ」といわれたのは母ではなく私。嫁という記号だけが代替わりもせず残っていく。近所のヒトも年を取って妖怪みたいになっていく。死んだら仏というけれど、生きているものの恨みはどうやって風化させていくのだろう。詣でる事に意味はあるのかな、何の感情も無いのに足を運ぶ理由って。目の前で感極まって泣かれても、わたしはただ網膜のカメラに映し出しているだけで、その信号はどこにも届かない。というかストップさせているのかも知れない。感じないように。

わたしがここで祖母の事を悪く書くのはどうだろう。泣かれても何も感じない、と伝えたらまた泣くだろうか。血のつながりは無いのに、よく似ていることだ。