自分の中で同時に多発する何か

軽くみる、という傾向がある。それは、自らの、チャレンジへのフットワークも軽くするが、他者を軽んじるとなると問題。自分が出来る事は他人も出来る筈という思い込みは、多くは傲慢さの例として挙げられるが、謙虚である場合もあるかも知れない。じゃない?

911の翌日のアメリカの新聞を持っている。この九月で十年保管していることになる。これを作品の下地にしようと思っていたが、ダマーに懇々と時勢の説明とともに諭された。私はただこれを、素材の一つとしてしか考えてこなかった。誰かの悲劇をおかずにする事に、全く躊躇も覚悟もなかった。多様性に甘えながら、同時に拒否している。

自分の姿勢が厄介だ。世の中にはいろんな考えがあるということ、知識としては知ってはいるが、判ってはいない。死ぬまでこのままかも知れないが、まだ、欠点ではなくて個性ではないかと都合良く思っている節がある。経験と交流の、数か、姿勢か。個展のプランを大幅に変えないといかん。