だから旗ふるの

どんな仕事も、それがお金に換わる瞬間を思うと敬意を払わずに居られない。自分が代わって出来るかと考えると尚更。今は道路工事の季節(笑)なのであちこちでほじくり返し、いや補修してるのを見かけるが、交通整理で旗を振ってる人を、つい、楽そう替わってみたいと思ってしまうの何でだろ?

つらつら考えるに、出来る筈と思ってしまってる。自分は現役だと思いたいって事だろう。それは強迫観念に近いかも知れない。仕事だから、社会的にと言う事だな。それを思うようには成していないので、焦っている。今は、中核から外れている、宙ぶらりんの自覚と考える時間だけがあるんだな。保護せねばならぬ子供も居ない、幸いに親も元気、なりふり構わず働かねば死んでしまうというギリギリのラインにも居ない、仕事は少ししてるがフルタイムではない、似顔絵師ですとも言い切れない、勉強に打ち込んでも居ない、家事もまともにしていない(またアイロンがけを溜めてしまっている)

無い無い尽くし、体力も最近はあまり無い、でもエネルギーだけがある。このフラストレーションをポジティブな方向に燃焼させたいという欲求があるわ。上がっていけばいいんだけど煙。天に向かってたなびけ、ほど大上段な事を言うつもりはないけど。

取り急ぎ走ってこよ(。→ˇ艸←) なんか書きたい事と違ってしまったな…

<追記>いろんなこと、やってみたいというだけの単純な欲求?

走ると取りあえず気持ちいい。スッキリする。昔知人が、腹立つ事あると家の周りを走るんだ、そうすると気が晴れるよ…若干は。と言っていた。なんで何も無いことに焦るのかな…?性格かな?マンボウやサメと一緒で、止まると終わっちゃいそうな気がするんだ。少なくとも目はスーパーのパックの魚みたいになるんじゃないかなって。終わるとどうなるのかって考えるのが、こわい。それが実は、自分と向き合うってことなんかなって。