褒めるについて、その二

昨日は頭に浮かんだ事を羅列したけど、やっぱりコンプレックスの一つなんだと思う。社交辞令をなかなか上手くいえないという事が。幸か不幸か働く時間も機会も平均に比べると俄然少ないので、いざそういう荒波に…相手の事をよく知る時間も機会も無い荒野に一人きりで放り出された場合、上手く振る舞う自信が無い。途方に暮れる自分が目に見えるようだ。

無理をした私の言葉はかなり見え透いたお世辞になっているか、顔がひき歪んでいる。あるいはぎこちない笑顔に…ここまで書くと、リアルで会う人はますます減るだろうが仕方あるまい。

褒められる事もまた下手である。なんと返せばいいのだろうと黙り込んだりして最悪。失地回復を図ろうとして、例えば仕事先で上手ですねと褒められるとか、お客さんの職人に対する賞賛としての常套句が来た場合、「おそれいります。有り難うございます」でいいんだろうけど、なんか相手はもう一歩求めているのを感じるんだよね。最低でも十五分ぐらい対面してるので…で、お客さんが「私も描けるようになりたいわあ、でも無理〜」で私がよくした失敗は「誰でも描けますよ。紙とエンピツがあれば」←改めて書くとあり得ん

これが私の伝えたい事、味も素っ気も無い真実。でもこれじゃ相当にダメ…相手の気持ちをぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱にポイっとしてる。最近は「お客さんが私より上手だったら仕事無くなっちゃいますよぉ〜」とか言ってる。これも充分ではないが。というか私が嘘をついている。仕事は、それで無くなるならそれでいいのだ。この世界ではこれまでだという区切りだからね。でもそんなの誰も判っちゃくれないよ。

嘘じゃなく、相手の気持ちを無碍にしない言葉を、息を吐くように言えればね。

お世辞はいいのか、悪いのか、潤滑油である事は確か。上手く生きていきたい、自分以外のなるだけ多くと上手く添ってやっていきたい…生き物の自然な欲求だ、でもそれを叶えるために無理をして作った人間関係は、お互いにとってももろいものだと、芯では、それもお互いわかっているんじゃないかなあ。たとえそのとき限りの関係でも、お客様にはいい気持ちで帰って欲しいんだ。だから同じ砂上の楼閣なら、バビロンの空中庭園のように…一緒に作れる人を捜して。

ところで荒野に関連して、やはり出てくるのは贈与という思想。まだまだ考えていきたい。