思えば遠くを見るもんだ

四歳で青森に移り住み、ドメスティックな葛藤はあったものの、高校卒業までぼんやり時を過ごしてしまったなあ。

幼い頃は街に出ればまだ傷病軍人と言われる人が足を吊って包帯を巻いて物乞いをしていた。母は一時間かけてとなりの市へ働きにいき、亡くなった父によく似ていた私は祖母に連れられて夕方はいつも市場にいった。串に刺した魚の匂いが立ちこめていたが、私にはあまり関心が無かった。ぶり子ってヤツは食感がぷりぷりするだけで、漬けてある醤油の味しかしない。それが大きいポリの樽に乱暴に入っていて、なんとなく不潔な感じがするなあ…と立ち止まってみていたら、祖母の尻を見失った。祖母はしゃがんで話をしてくれていたけど、なぜか尻ばかり見ていた。さっきまでここにあった尻がない…内心は半狂乱だったが、表に素直にそれを出す術を知らなかったので、「おばあちゃん!」と呼ぶでも無く、あーんと泣き叫ぶでも無く、ただ、祖母の尻を探してふらふらと彷徨った。

これだ!と両手で両尻(尻は単数形か複数形か)をタッチしたら、「あらあら」と振り向きしゃがんだ顔は見知らぬひとだった。どうしていいか判断がつきかね、曖昧な謝罪の顔を作りつつ、謝るでも無くへらへらと後ずさりながら立ち去り、また尻を探す旅に出たのだった。(その後間もなく、知り合いと立ち話してる自分とこの尻を発見)

当時は沢山の尻と沢山の魚と沢山の笑い声と、同じくらい怒鳴り声があった。もうその市場は無いんだ。毎夏帰省のおりにダマーに、ここがあれで、と説明することもあるけど、無惨な空き地から何を想像せよというんだ。ジャスコがなんだ、と思うけど、果てしなく遠くてオシャレな神戸に暮らしてジャスコなんてと思っているんだ。評判の良いバームクーヘンなんか送って、母や叔母たちに「神戸のお菓子、美味しいね〜さすがね!」なんて言われて、それでまた送ったりするんだ。それは苦くて甘いのか、甘くてやがて苦くなるのか。