チャリティの意義

このたびの震災が起きて、わりとすぐにこのプロジェクトを思いついた。そのタイミングだけは早かったと思う。無私である事でどこからも責められない、穴の無い、イコールこのプロジェクトを知った世の中全ての人に支持を受けるはずだという根拠の無い自信が有った。

それが揺らいだ。自分の傲岸さと狭量さに(…改めて)驚くばかりだ。報われないとはこういうことか、と自分以外を責めたい気持ちでいっぱいになった出来事があった。無私どころか、実は驚くほど報われたかったのだ。自分のキャパシティ以上に人の善意をあてにし、期待し過ぎ、夢を見すぎていたんだ。果てしなく自己中心的な自我がそこに在った。

そして今も、自己嫌悪に陥るどころかむしろ闘志を新たにしている。これはどういうこと。私は思ったよりもっと、図々しくタフなようです。他罰的にも自罰的もならず、っていうか誰も罰さなくていい。

自発的な行動である、ということの責任を、感じ始めているのだと思う。遅いけども、遅すぎないようにしたい。もっと慎重に。私の行動が別の人にプレッシャーをかけている場合もあるということも、忘れがちだが自覚せねば。その上で進まねばならない。焦ってはいけないと、ともすればつま先立ちで走りながらも。

プロジェクト、ヘルプを受けて若干改訂しました。読み易くなったかなと思います。
http://www.avocadobanana.com/charity.html