線引き

自分と他人との境界というのはどこか…?いやだって、自意識は人体という独立の容器に入っているから、自由に出来るこのからだの分だけが、自分自身だ。…と、思いますか?

というお題で真っ先に思い出すのがある日の空港の私とダマー。待ち時間中に唐突に私の白髪を抜いたのである。私たちは身長差があるし、見下ろす形では特に目立ったのだろうけど…勿論、激怒しました。痛いんだもの。だいたいいきなり無断で、って酷くない?!わたくしだって一個の独立した人間なのよ!

けどこれは、彼には、ベランダのローズマリーを剪定するのと同じレベルの行動なのかも。と、歩み寄った推測をしてみる。つまり、ある程度管理してやらないといけないもの。妻が夫のスーツの襟を直してやるのと似たようなもの…コミュニケーションのひとつか。ケダモノの毛繕いのような、猿の蚤取りのような、とだんだん生きながらに畜生レベルに堕ちるような事を書いてしまう。いやその、混ざっていく、シンプルになっていく、単一になる…ってことで、つまり…

いや、阿吽の呼吸にはならないね!「痛いでしょーが!」その強い抗議の叫びは、二人単位の家族で、日だまりの中緩やかに互いを同一視し社会性を失っていく恐怖を未然に打ち破るものでもありました。…と掻いておこう。あ、蚤とってください。