前提条件からくずおれる

ダマーが限定ハンバーガーを徒な情熱で食べ比べようとしてくずおれるブログを読んで、「この人は文章力があるね。なんでもない事柄を最後まで面白く読ませる」と評価したので、じゃあ私は私は?と勇んで問うたところ、「わかりにくいしわかってもらおうともしてない」と例によって身もふたもない返答だった。

実際その通り…。でも、わかりやすい文章書きたいし、わかりやすく伝えたいし、その底にはわかってもらいたいと思う気持ちが勿論あり、近年その度合いは増してきている。(そもそも論で(笑)私は「理解」という言葉をあまり理解出来ていない。)

こちらがAと言っているのにBと受け取られる事例がある。ご丁寧に形にしてくれる。それをいや、違うAだと頑張って自分の形を丁寧に「わかりやすく」説明するか、もうBでいいわと突っぱねてしまうか。私が今までおおよそ後者で来たのは、理解してもらおうと説明する努力を怠り、証明能力の無さを証明するのを怖がっている、そういう自分の存在こそを是としないとやってこれなかった未熟さの現れだった…ということか。だからなかなか進めないのだな

意図を正しく伝えるということを私はごり押しと混同していた。(そもそも本当に正しいの?ってところから頽れる私orz)いわば異種アメーバの熾烈な食い合いのように思っていたわけ。食われたくないよ…という。

しかしそれにつけても争いたくない…自分のブログで適当に威勢よくやってるのはいい、でも、気持ちが波立つ事にかけてもまだまだ弱いなと思うわ。ブレないでいたいけど、じゃあ大人しく引っ込んでればいいのか、でも私もここに居ますとは言いたいのだろう。居るのだねと承認し支えてもらいたいのだろう。哀れ。相手を受け入れるというのは決して食われるわけじゃない。「認める」て言葉にかけてはちょっとわかってきたかな…。

でも、最終的には相手を取り込みたいという煩悩 (★^ω^)ニッコリ★ミルフィーユは独り折っていく事で層を作れるけど、ミルクレープは皮と同じ厚さのクリームを丁寧に塗っていく。皮、クリーム、皮、クリーム、って、それ即ち餅つきの要領、阿吽の呼吸。最初から同じ厚さなんじゃなくて、折り重なった重みで均等になるのかもしれないねえ。