山や谷

その人の越えて来た山や谷を、余人はなかなか知る事は出来ない。共感力、勘の良さ、思いやり、そんな人はやっぱりコミュニケーション力が高い。

こないだ会った女性は春に大病を患い死の淵から生還した。あたまに何やら埋め込まれているキカイダー状態だが、外見からは全く分からない。たまに重い、と渋いコメントをするが、コブラのレディみたいに美人でカッコいい。三人子供を育てた後事業を興して、今でも現地まで出張指導、現役。

親を尊敬しているとか言うな、との向きもあるが、私は男親も果たして来た母は偉いと思う、本人にはよう言わんけども。あとはロールモデルとか特にないわと思ってたんだけど、この人はすごいと思った。口にしてもいい、と思ったし、あなたのようになりたいと実は臆面も無く口にした。人に言わせる、そういう力がある。

私がなりたいのは、金輪際普通なところ。ニュートラルで押してくる。「私はこうするためにこうしている」とも言わないし、「こうしたらいい」とも言わないし、「こうしないとダメ」とも言わない。他人との関係における浸透圧を、自在にコントロール出来る人だ。コメントなら、「居りたい人のそばに居るだけで、」とかいう。

ちょっと前に「ひと呼吸おけない」と書いたが、あれは価値観の押しつけ、「私悪くないからね」という善人マニュフェストだ。自虐じゃなく。だが、自分を何らかの形で示さないと埋もれていく。それは詰まっていくと、透明になる。自覚した無とは違い、受動的で、プレパラートみたいに押しつぶされて。自分の山や谷を、その稜線を、心情を、細かく書き綴るのも善し悪しというのはこれもある。