エロスとタナトスの境界を、いつか知る。

映画等をみてて一番怖いと思ったのは、スプラッタホラーでもサイコサスペンスでもなく、安楽死の場面だ。

カッコーの巣の上で」。あれは解放なのだが怖かった。執行者はその意思を、遺志をか、汲んで自由にしてやるシーンだ。既に自分を喪っているのだが、体力的には頑健で、どうしても抗う。強力に抵抗するその動きが、その本人の意思を離れた生命力が、化け物のようで絵としてすごく恐ろしく、印象に残っている。(なので好きなのだが何度も観たくはない)

私は基本、元気です。別名いのち根性が汚く頑丈ともいう。バイタリティがあると言われた事も何度かある。負けん気かも知れないし、無計画な蛮勇が行動力に見えるかもしれない。体力もまあ同世代の中では体重もそこそこに(っていうか増え過ぎ…)あるし、寝込んだりもない。メンタルもなかなか落ち込まない。(ブログに凹んだと書いても実際は乖離している、他人事みたいに処理している)っていうかかなり図々しい。目には目と歯を、てな、恐らく心臓には剛毛。

そうであればあるだけ、私は私を喪う瞬間が怖い。

健康なのは良い事だ。しかし、きちんと死にきれないのではないかと怖れる事がある。何十年も後かも知れないし、明日かも知れないけど、そのとき恬淡としていたい。きちんと受け入れたい。でも、自信ない…物凄く見苦しい予感。だから、若さにこだわる自分を、貪欲な自分を、アンチエイジングに励む世間を、ひたすら疎ましく思い、嫌悪する。見苦しさを今から体現しているそれらを。

生まれた時から死に始めているってことを、こころでは知る事が出来ないまま、その瞬間まで呼吸をし続けるしかないのだろうか。見苦しいのと苦しいのと、どちらが克つのだろう。亡き父に問いたい。