血脈

父方の叔母の事を思い出したのは、昨日スーパーでベビーカーに乗ってバゲットの大きなかけらをしみじみと頬張る女の子をみて思わず「うむ、初めての味」とキャプションを付けたくなったからだ。

個性的な女性で、若い頃は浅芽陽子、年を取って奈良岡朋子のようになってきた。大人になって上京しちゃった後も、実家のそばの雑貨屋さんの奥さんが「あんたの叔母さんはこのへんには居ない綺麗な人だ」と幼い私に何度となく言ったが、私はずっと馬のようだなと思っていた。ちなみに馬は動物の中ではとても好きだ。

女子高生の頃は授業中も窓へ首をあからさまに向けてぼんやりと頬杖をついていた。先生がむっとして(当たり前だ)当てても首を戻さずしらっと正解を答える女子生徒だったと聞く。

東京の大学に入るとほぼ同時に劇団に入り、歌のお姉さんをしたり、バーテンダーをしたり、つらい失恋をしてその人のジャケットをいつまでも持ってたり、諦めて結婚したその新婚旅行先で宿の障子に映る相手の影を見て絶望し成田離婚。教育者であった祖父母が頭を下げて回ったが、特にプライドも高い継母であった祖母の怒りは如何ばかりだったろう。その後祖母の口利きで再婚し、一児をもうけて離婚。

今何をしているかというと、社員寮の寮母として料理を一手に引き受け疲労困憊するまで働き、わずかな休日を合唱団に費やしている。今でもやっているだろうか。最後に一緒に叔母と従姉妹と一緒にカラオケ行ったのはもう10年以上前になるが、「人生いろいろ」を手と声を振り絞りながらシャンソン風に歌い上げていた。

先日他の方のブログで古いアルバムについて書かれているのを読んで、「叔母が私の七五三の写真に「火星人」とキャプションをつけました」とコメントを書いた。私の頭蓋が幼児としても並外れて大きく、比して体は華奢で支えるのに随分苦労した事を思い出す。生きづらさはもう始まっていたのかも知れない。なんちゃって