anyways

見上げると五里霧中なのだが、とにかく、足がかりはつけねば。足を乗っける前にまずとっかかりを打ち込まねば、落ちる。手探りで壁面を探る、その時点で最も適した場所を。切羽詰まっているのかどうか、押されるように選んでいた。そんな人生のスパンでいうと恐ろしく緩慢なマリオブラザーズを経て、美貌も若さも知力も財力も無い私が持っているのは「押しているのは私自身」という自覚、それだけだ。俗にいう、「人生の漕ぎ手は自分自身」というヤツで。

それだけで保っている。あれやこれや言われるのが、それが善意でもやっぱり嫌なのは、ちっぽけなプライドもそこにあるから。尊重されてないと思ってしまうんだな。でも、何を?形が分からないと相手も五里霧中だ、自分の見識でものを言って当然だわ。なのに、私はその見識を簡単に軽蔑する。もらった意見を軽視するのと振り回されないのは違うのだが、まだそこを越えられない。自分を描き出そうとするとにじみやすい曖昧な水彩エンピツのアウトラインしか取れないのに。たまに手が滑って思いがけず太くなったりするけど、結局私は自分を形作る事にこの年になっても腹を括れないでいる。