手探りで進む/カウンター

最近、仕事と平行して少しずつ自分の絵も描いている。秋にツレと二人展をするためもある。ツレは普段は作業療法士ときにヤクザなドラマー、伊藤若冲を愛しウロコを取らない粗汁を作る野生人で、今回は多分自作の本を出す。廃材を拾って来て、自分の詩をつけて綴じる。一度形になったものを型番にして、何十冊も独りで作り、そして好事家向けの本屋に売り込みに行く。孤独を友にして。

渦中に逢うと鬱々として可愛くないが、今回は彼の制作姿勢というものに感ずるところがあって誘った。ただキャンバスに絵の具という垢を載せているだけ、汚れが進行していくだけ。悲しいけどこれ、現実なのよね。孤独を友に何かを創るというのは、己の深淵を覗き込む事であり、意外に浅かったりして何も無い事を知るだけかも知れないが、止まったらそこで終わりだ。スカムというのは人間の屑である。人間をかき混ぜた上澄み、浮きかす、分離するのを待つばかり。この時間が長く、徒に画材になりそうなものを載せまくっている。

湯葉ともなれば珍重される由。